インタビュー

佐野 幸江|プロフィール

 

佐野 幸江 / サノ ユキエのプロフィール


名前|佐野 幸江(サノ ユキエ)
ニックネーム|ゆきえちゃん
誕生日|9月18日生まれ、乙女座
出身地|静岡県富士宮市
職業(職種)|放課後等デイサービス自営(児童福祉)
趣味|頭内プラン・モノづくり・なんでも自分でリフォームしたり作る事・浅く広くチャレンジ・お喋り・漫画を読む など

ホームページ|life-sapple-plus.com
Instagram|@ta_koizu918
Twitter|@houdey_sky1971
Facebook|佐野 幸江
YouTube|-

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人生を語る上で欠かせない7つのシーン

Scene 1.

私の幼少期から小学生時代に私の今の人格が作られたような気がします。

人の為に何かをしたり、何かを作ったりして喜ばれる事で、またしてあげたいと思っていたように思います。

お客さんが来ると、料理を作って振る舞ったりもしていました。

得意教科は、図工や体育や理科で、創り出したりする事は今も変わらずに好きですが、物が変化する事も好きでした。

体育は、物を使う競技は苦手でしたが、走る事が好きで、小ニの頃は、父と二人で晴れていれば毎朝ニキロくらい走っていました。

マラソン大会では小三から中三までは一位でした。

 

Scene 2.

中学生になると反対に、学力社会の縮図のような環境に、なかなかついていけず、勉強があまり出来なかったので、部活の陸上に没頭して、ひたすら自身の為にと、走る事を楽しんでいました。

学年関係なく、後輩とも遊びに行ったりふざけたり、楽しい部活動を満喫していました。

部活の時間になると活き活きとしていましたね。

ちょっと照れますが、その時の同級生から見た私。を語って頂きました。↓

幸江ちゃんは、昔は目標に向かって突っ走っているイメージしかなかったけど、年を重ねて最近では人の上に立っているからなのか、例えるならばカーナビゲーションの様な人。

子供達、又は従業員が目標を(どうしたい!どうなりたい)入れると、それに向かって進んで行けるように導いてくれる存在。

時には厳しい事を言うけど…それはその人を思っての事。

間違った道を進もうとするとしっかり軌道修正して結果目標に近い所へ導いてくれる。

まさにインフルエンサー的な存在です!

高校時代になると、中三の時に両親が別居し、母と妹と家を出た為、部活と勉強と家事をやらなければならなくなり、時間的には随分忙しかったです。

睡眠時間は五時間程でした。

きつい母とのバトルも多く、二年の時の担任や、陸上部で仲の良かった友達がいつも心配してくれて、いつも心の支えになってくれていました。

出たがりな性格が出てきて、クラスの友達殆どと仲が良かったです。アニメ好きなグループや、派手目なグループや勉強の出来るグループとか。

修学旅行には部活が重なって参加出来なかったんですが、クラスの全部の班や、他の運動部の子達からもお土産を沢山買ってきて貰いました。

その分お礼に、クッキーを焼いてお返しをしました。

女子校だっただったこともあり、女子からキャーキャー言われた事もありましたし、部活でもやっぱり学年関係なく仲良く遊んでいました。

 

Scene 3.

その後社会人となり、大きく私の人生を変えた出来事です。

一年目では、とにかく同期の中では一番早く仕事を覚えたい!との気持ちが強く、残業は出来るだけやって覚えようとしましたが、私の特性で、頭の中で組み立てて理由付けして納得出来ないとなかなか覚えられず、新入社員が必ず失敗するミスは、一通りミスしてから、ミスの仕方も覚えると2度とやらない。と言った、独特なやり方でしか覚えられなかったですが、一度覚えてしまえば、独自に時短方法を見出して、どんどん吸収していきました。

最初は班長からよく厳しく怒られて、よく泣きながら帰って来ると、同期が待っていて話を聞いてくれたり、徐々年齢が縦割りに仲の良い先輩達に可愛がって頂いて、話を聞いてくれたり、休日には出掛けるようになりました。

班長も、新人の中で一番早く仕事を覚えて欲しくて厳しくしてくれていたことを知り、入社して一年経った時には、沢山の先輩達からも可愛いがって頂き、仕事も出来る新人になっていました。

目標に向かって努力する気持ちは誰よりもあって、仕事に対する気持ちは誰よりも強かったと思います。

そこは、今に繋がっていると感じます。

今でも仲良くしてして頂いている先輩方から見た私。を話して頂きました。

とにかく凄いなぁ〜!尊敬する。会社にいる時から、みんなで遊ぶことも何でも決めて、ワゴン車を運転して連れてってくれたり、凄いと思っていたけど、今は更に、思った事を全て行動して、人の為に動くし、凄いなぁ〜‼️と思う。

会社にいる時は、真面目に仕事はしっかりやるんだけど、何か周りの人とは一際違うものを放っていた。今も常にチャレンジして前に進んで行く。
バイタリティーがあって、そこに山があるから登る登山家みたいな人。

 

Scene 4.

ハタチ過ぎると、祖父が他界したのち、両親の離婚を機に、父の実家に残る事になった事も、また人生を大きく変える出来事となりました。

家事をする祖母に代わって家事を手伝うようになり、最初に入社した会社も二年で退職し、いろいろなアルバイトを経験しました。

その後父の病気を機に、食に関心を持ち、野菜や米の有機栽培をするようになりました。

そんな二十代では、沢山の人と出逢い、いろいろな勉強をしました。

そこで出逢った人と結婚し、息子が産まれましたが、二年程の結婚生活で、私は子育てに専念したいと言う気持ちが強すぎて、パートナーに頼り過ぎていた為に、生活が難しくなり、離婚する事になりました。

 

Scene 5.

離婚後には、実家に戻り息子と二人で同居させてもらう事になりました。

この時、保育園に預けて働く事になりましたが、保育園に入ると、うちの子と他の子達との違いに、ちょっと動揺する事がありました。

ここからがまた、私の人生を大きく変える出来事となりました。

お遊戯会の時、他の子が踊っているのに、外を眺めてニコニコしていたり、一人遊びをしている事が多かったんです。

反対に絵を描く時には、細かいところまでよく見ていたり、何か作ったりすると、発想力が違ったりしていました。

年長になると保育園を変えざるを得なくなり、何とか空きのあった保育園に移り、そこで当時の園長先生に相談したところ、一度検査をして貰ったら?と勧められ、当時は青少年センターにて検査をしてくれました。

結果、発達障害だと診断され、専門の先生に診て貰う事になりましたが、その時にはショックと言うよりは、なんだかこれまでのモヤモヤがスッキリしたのを覚えています。

しかし、それからは友達とのトラブルや、その場にそぐわない行動など、とにかくいろいろあり大変でした。

それでも、園長先生や小学校当時の相談員の先生に、いつも相談してアドバイスを貰ったり、叱って頂いたりしながら、何とかやってきました。

 

Scene 6.

当時キリンビバレッジの子会社にあったキリンマーチャンダイジングに就職しました。

これもまた、これまでの自分を試すきっかけになり、人生を大きく変えた出来事です。

これもまたインスピレーションで、求人情報誌を見てすぐに、合格するような気がして、募集の締め切りギリギリでしたが応募し、自分を最大限アピールした結果、二十人中一人の枠を勝ち取りました。

自分の持ち店舗でキリンビバレッジの商品を案内して受注し、展開する場所を交渉し、納品された商品の売り場をきれいに飾って陳列するのが私の仕事でした。

最初は営業の仕事が、二枚舌のようでとても嫌でした。

しかし、徐々にその店舗の特色に合わせたり、客層に合わせた商品と数量を案内して受注することを学び、苦手なことを克服し、成果を上げてきました。

最初はクセのある担当者とも、興味があるような提案をしたり、興味のある話から徐々に関係を築き、十年の職歴でプライベートまで入り込んで関係を築いた担当者や他メーカーも数多くいて、未だに連絡を取っています。

中でも得意分野である、休日にはオリジナルの訴求ツールを作成して売り場を飾ったり、飲料を使ったレシピで購買本数をあげたり、オリジナルの販促POPを書いたり、その商品や時期ごとに合わせた売り場展開をすることが、すごく楽しく、コンテストでは入賞する事も多く、全社では評価を受ける場面も多かったです。

退社時には、全社内の社員やMDから応援メッセージを頂いて、残念がられながら退社しました。

上司からも可愛がって頂き、ここで、直属の元上司から見た私。を話して頂きました。

人を喜ばせるためには全力で考え妥協せずに頑張る子ですね。

一言で言えば明るく、熱く、前向き。

十年ほぼ同じ店舗で、同じエリアを担当していて、毎年少しずつしっかり売り上げをしっかり上げてくるのは、本当に大変な事だと思う。

凄いよ!

 

Scene 7.

現在の職業を始めた事は、大きく人生を変えたと思います。

最初はやっぱり、一人で仕事をする訳ではないので、スタッフを採用してやっていく事は、とても大変で、経営者としての大変さを感じていました。

そこは今も変わりはないのですが、私の考え方に合うスタッフを見つける事や、同じ方向性でやっていく事の難しさも感じていますが、みんなで同じようにやって行く事ももちろん大事ですが、その中でも、みんなが同じ立ち位置ではなく、足りないところは補い合って、一つの歯車として同じ方向性を向いて動いていけたら、お互いの意見を尊重し、良いものを取り入れて行く考え方はあったものの、実際には出来ていなかった事にも、今となれば感じます。

当初はそんな余裕もなかったのかも知れません。

今は、随分連携を取り、同じ方向性に向かってチーム一丸となってやれていけてると思います。

そんな中で、一緒に働いてくれているスタッフから見た私。を語って頂きました。

うそがない。

考え方がまっすぐ。

どんなことにも全力でぶつかっていく。

毎日、全力で生きていて、裏表やかっこつけることがないのに、とっても魅力的。

「うわべ」がないから、スタッフの前でも、思いっきり泣くし、思いっきり怒ります。

でも、どこか抜けていて、そんな一面にスタッフを和ませてくれます。

スタッフの話にも、ちゃんと耳を傾けてくれます。

普段はうまく伝えられないけれど、家族のように信頼しているし、尊敬しています。

ゆきえさんの近くで働けて、ゆきえさんに出会えて、よかったなあ。

これからも、隣の席から、応援しています!

他にも近所の人も減ったたくさん応援してくれていて、十年前に今まで頼りにしていた父が他界し、口下手ですが、上手く近所の人達と付き合わしていたことで、父の歳ほどの人たちも私たちのことを助けてくれていると思っていましたが、最近になりそのことを近所の人と話した時、それとあるけど、歳は親子程だけど、頑張っている幸江ちゃんを尊敬して応援してあげようと思っている。

との話を近所の人たちが話してくれ、私も今まで沢山の人達に応援してもらい、親子二人ここまで来れたので、私たちも返していける事は返していこうと毎日来ています。

これまでインスピレーションを信じ、たくさんの縁を大事にして生きてきたので、これからもそれは変わらずに生きていたいと思っています。

これまでの人生のターニングポイントで、そのことを学んできました。

 


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今の私を漢字一文字で表すなら

今の私を漢字一文字で表すとしたら「力」という字になります。

動→最初は『縁』かなぁ〜?と思っていましたが、他にも選んでいた方もいらして、まずは息子に相談してみました。

「『力』でしょ?なんでも力づくだし、怪力だから(笑)」と言われましたが、「安易じゃない?なんかしっくり来ないんだよね〜?」と言ってましたが、急にトイレに向かう時、あっ‼︎『動』だ‼︎と頭の中にボン‼︎と入って来て、いつものインスピレーションが降りて来ました。

息子に慌てて、「力も入っているし、これじゃない?」と話すと、「あ〜!」と納得。

私は常に動いていて止まらない。身体は止まっていても、頭の中ではいろいろと巡っています。

よく周りからも、「いつ休んでるの?」と聞かれるので、この文字がぴったりだと感じました。

講演会の様子

餅つきの様子

 

私の“仕事”について

私の職業・職種、仕事内容

私の職業は、放課後等デイサービス澄海(スカイ)を運営しています。

児童福祉分野になり、特性のある子供達を放課後や長期休みにお預かりして、学習や療育支援をしています。

 

 

私がその職業・職種に就こうと思った理由やきっかけ

前職キリンビバレッジのマーチャンダイザーでも、シニアMDとして店舗営業や売り場作りをやっていましたが、とてもやる気を感じていましたし、売り上げが目に見えるので、とてもやりがいがありました。

しかし、社員登用の試験には、45歳と言う年齢なりの役職の仕事ができなければならず、受かりませんでした。

このまま続けて行くにも体力の限界を感じていました。

そんな時に、自分の子供も特性を持っていて、今まで子育てをしてきた経験を生かし、同じような特性を持つ子供たちや保護者の力になりたいと思い、この仕事を始めようと思いました。

それでも前職のMDの仕事や、電気配線の仕事など経験してきた、PC作業や営業やものづくり。

特に築いてきた人間関係や子育て経験など、今の仕事に全て活かせて繋がっていると感じています。

今の仕事はこれまでの集大成のような気がしています。

 

私が思う、その職業・職種の魅力

私が今の仕事に魅力を感じているのは、毎日楽しいことです。

日々の支援の中で、インスピレーションで感じることの方が多いんですが、この時にこうしたらいいとか、その日の支援を頭の中で振り返っているうちに、こうしたらよかったと言うのが浮かんでくるので、対応していくと、それがその子それぞれに合ったりするんです。

そうすると子供たちも成長していくので、日々子供たちの成長を感じられて、それが私の楽しみにある喜びに変わります。

それが本当に私のやる気にまたつながっていっています。

 

役に立ちたいと思う人たち

やはり子供たちや保護者でしょうか。

私も同じ保護者であるため、特性のある子供たちの子育ての大変さはよくわかります。

そんな時、相談を聞いてあげられたり、アドバイスをしてあげられたり出来たらと思っています。

山あり谷ありの子育てでしたが、それが常識だと思って諦めてしまわず、悩んで相談して動いてみると、必ず新しい道が開ける事を、親子二人で身を持って持って体験して来たので、近道で良いアドバイスが出来たらと思っています。

講演会も行っています。

 

欠かせない、これが私の仕事道具

私の今の仕事に欠かせない仕事道具と言えば、この私のインスピレーションで感じる身1つです。

常に困っていることや、日々の様子をぐるぐると頭の中で考え巡らせていると、きちんとそれに対する答えをインスピレーションで感じることができます。

現実的には、日々学習支援に必要な、赤鉛筆やボールペンや、消えるボールペンや消える蛍光ペンを入れているウエストポーチでしょうか。

特に消える蛍光ペンは必須で、漢字の下書きをしてあげたりするのに使いますが、自分でも間違えてしまう時があるので、消える蛍光ペンは便利です。

特に青色が目にも優しくていいようです。

それと、手作りの革の手帳ですね。

スケジュールを入れたり、研修や会議ではメモを取りますが、中身が入れ替え出来て毎年使えるので、磨いて手入れをしながら、キリンビバレッジ時代から、もう8年使っています。

 

私が最も影響を受けた本・映画・曲

本:北山耕平「定本 虹の戦士」

この本はインディアンの事を描いた本なんですが、是非皆さんにも読んで欲しい一冊で、私自身は虹の戦士だと感じています。

その昔、白人によりインディアンの土地が奪われて追い回され、争いが増えていき、ウイスキーが持ち込まれインディアンを狂わせてしまった。

しかし、それには、インディアンが多くの小さな国を知るために必要だった。

それによりインディアンのスピリットは失われていったが、インディアンスピリットを受け継ぐ老婆と、スピリットを感じる為に成長し、勇気ある少年により、争わず皆が家族として生きていく、生き物も自然も大地さえ我として生きているとするスピリットを、また新たに広めて行くために立ち上がった。言葉にすると、こんな感じにである。

なかなか言葉にすると難しいが、私はこれを二十歳頃に読み、受け取って、私もこれを受けた虹の戦士だと、とても強く感じた衝撃的な書籍であった。

 

映画:ぼくらの七日間戦争

宮沢りえが主演の映画で、学校や大人達への不満を持った小学校の同級生達で、空き施設に立てこもり、大人達に自分達の要求を提案して戦うストーリーで、主人公達の主張にも共感出来て、それに対して立てこもっている中でも多々意見の食い違いや仲間割れもあったりしながらまた子供ながらに成長していく人間ストーリーと、秘密基地のわくわく感に凄く惹かれました。

私自身も、正しいものは正しくあれ。と言う考え方があるので、今でもとても印象強く、更に私の正義感に、それでいいと火をつけたように思います。

中学の陸上部時代にも、副部長になる筈ではなかった私が副部長になった事で、一時期、周りからの当たりが強く、皆んながついて来なくなった時期がありましたが、私は私の為に練習をやっているから、何も変わらずにやればいいと、練習に打ち込んでいた事があったので、そんな考えになれたのも、影響しているのかな?と感じます。

 

曲:ヒーロー / FUNKY MONKEY BΛBY'S

好きな曲も沢山あって、影響を受けたと言うとこれかな?

ファンキーモンキーベイビーズの曲で、フレーズといいメロディーといい、母子生活だったその時期に、とても勇気を貰える曲でした。

仕事には自信を持ってやっていましたが、家庭と仕事と子育てを両立させながら、やっぱり男性社会と言う中で、肩を張って生きていたので、ついつい語気を強く発言してしまう事もあり、勘違いされてしまう事も多く、たまたま耳にしたこの曲にパワーを貰い、それから、ファンモンの応援歌に勇気と元気をもらって頑張ってきました。

それぞれを振り返って気づいたんですが、どれもやっぱり私は戦うんだなぁと思いました。

本も映画もですが、ヒーローにも戦うと言う歌詞が出てきていて、やっぱり私の性格が出ているなぁと、クスッと笑ってしまいました。

 

私と静岡

静岡のここが好き

もちろん、パワースポットの富士山も、庭から裾野まで見えるのですが、実は綺麗に見える日は年間で三分の一日程しかないんです。

富士山以外にも、海あり山ありで、なかなか絞れないんですが、今まで一度も富士宮市から出た事がない私が連れて行きたい場所は、『朝日滝』です。

滝の近くまで近付けて、マイナスイオンが凄く浴びられます。

他にも陣場の滝や白糸の滝も好きです。

 

県外の友達を連れていくならここ

他には『朝霧高原』も、夜になると星空がとても綺麗です。

伊豆の海もいいですよね。

 

思い出の場所・スポット

思い出のスポットは、伊豆の『爪木崎』です。

高校を卒業して免許を取ってから、旅行雑誌を見てドライブに行った場所で、それからもよくドライブに行きました。

夏ももちろんいいですが、寒い時期には水仙が綺麗に咲き誇っていて、とてもいい香りがしています。

 

私の将来の夢

将来の夢は、仕事で言うと、ハンデのある人も、ハンデのない方達が特性や対応を理解してくれて、平等に楽しく生きていける世の中にしていきたいと思っています。

その為には、ハンデのある方達や家族の支援を続けて行きながら、ない方達にも理解して貰えるように、講演などから伝えて行く事だと思っています。

多くの人達に発達障害や特性に理解を広めて行ける事、皆んなが同じように生きていける世の中になる事です。

その中で、私も多くの方々に助けて頂いて、ご縁を頂いてこれまで生きて来たので、これからもご縁を大切にして生きて行けたらいいなぁと思っています。

そんな中でも、スタッフからは、『ゼロを1にする力がある』と言われているので、沢山のモノづくりがして楽しんで生きていけたらいいなぁと言うのが私の楽しみでもあるので、私の夢です。

 

 

 

【プロフィール】

名前|佐野 幸江(サノ ユキエ)
ニックネーム|ゆきえちゃん
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