人生を語る上で欠かせない7つのシーン

佐野 幸江|人生を語る上で欠かせない7つのシーン

Scene 1.

私の幼少期から小学生時代に私の今の人格が作られたような気がします。

人の為に何かをしたり、何かを作ったりして喜ばれる事で、またしてあげたいと思っていたように思います。

お客さんが来ると、料理を作って振る舞ったりもしていました。

得意教科は、図工や体育や理科で、創り出したりする事は今も変わらずに好きですが、物が変化する事も好きでした。

体育は、物を使う競技は苦手でしたが、走る事が好きで、小ニの頃は、父と二人で晴れていれば毎朝ニキロくらい走っていました。

マラソン大会では小三から中三までは一位でした。

 

Scene 2.

中学生になると反対に、学力社会の縮図のような環境に、なかなかついていけず、勉強があまり出来なかったので、部活の陸上に没頭して、ひたすら自身の為にと、走る事を楽しんでいました。

学年関係なく、後輩とも遊びに行ったりふざけたり、楽しい部活動を満喫していました。

部活の時間になると活き活きとしていましたね。

ちょっと照れますが、その時の同級生から見た私。を語って頂きました。↓

幸江ちゃんは、昔は目標に向かって突っ走っているイメージしかなかったけど、年を重ねて最近では人の上に立っているからなのか、例えるならばカーナビゲーションの様な人。

子供達、又は従業員が目標を(どうしたい!どうなりたい)入れると、それに向かって進んで行けるように導いてくれる存在。

時には厳しい事を言うけど…それはその人を思っての事。

間違った道を進もうとするとしっかり軌道修正して結果目標に近い所へ導いてくれる。

まさにインフルエンサー的な存在です!

高校時代になると、中三の時に両親が別居し、母と妹と家を出た為、部活と勉強と家事をやらなければならなくなり、時間的には随分忙しかったです。

睡眠時間は五時間程でした。

きつい母とのバトルも多く、二年の時の担任や、陸上部で仲の良かった友達がいつも心配してくれて、いつも心の支えになってくれていました。

出たがりな性格が出てきて、クラスの友達殆どと仲が良かったです。アニメ好きなグループや、派手目なグループや勉強の出来るグループとか。

修学旅行には部活が重なって参加出来なかったんですが、クラスの全部の班や、他の運動部の子達からもお土産を沢山買ってきて貰いました。

その分お礼に、クッキーを焼いてお返しをしました。

女子校だっただったこともあり、女子からキャーキャー言われた事もありましたし、部活でもやっぱり学年関係なく仲良く遊んでいました。

 

Scene 3.

その後社会人となり、大きく私の人生を変えた出来事です。

一年目では、とにかく同期の中では一番早く仕事を覚えたい!との気持ちが強く、残業は出来るだけやって覚えようとしましたが、私の特性で、頭の中で組み立てて理由付けして納得出来ないとなかなか覚えられず、新入社員が必ず失敗するミスは、一通りミスしてから、ミスの仕方も覚えると2度とやらない。と言った、独特なやり方でしか覚えられなかったですが、一度覚えてしまえば、独自に時短方法を見出して、どんどん吸収していきました。

最初は班長からよく厳しく怒られて、よく泣きながら帰って来ると、同期が待っていて話を聞いてくれたり、徐々年齢が縦割りに仲の良い先輩達に可愛がって頂いて、話を聞いてくれたり、休日には出掛けるようになりました。

班長も、新人の中で一番早く仕事を覚えて欲しくて厳しくしてくれていたことを知り、入社して一年経った時には、沢山の先輩達からも可愛いがって頂き、仕事も出来る新人になっていました。

目標に向かって努力する気持ちは誰よりもあって、仕事に対する気持ちは誰よりも強かったと思います。

そこは、今に繋がっていると感じます。

今でも仲良くしてして頂いている先輩方から見た私。を話して頂きました。

とにかく凄いなぁ〜!尊敬する。会社にいる時から、みんなで遊ぶことも何でも決めて、ワゴン車を運転して連れてってくれたり、凄いと思っていたけど、今は更に、思った事を全て行動して、人の為に動くし、凄いなぁ〜‼️と思う。

会社にいる時は、真面目に仕事はしっかりやるんだけど、何か周りの人とは一際違うものを放っていた。今も常にチャレンジして前に進んで行く。
バイタリティーがあって、そこに山があるから登る登山家みたいな人。

 

Scene 4.

ハタチ過ぎると、祖父が他界したのち、両親の離婚を機に、父の実家に残る事になった事も、また人生を大きく変える出来事となりました。

家事をする祖母に代わって家事を手伝うようになり、最初に入社した会社も二年で退職し、いろいろなアルバイトを経験しました。

その後父の病気を機に、食に関心を持ち、野菜や米の有機栽培をするようになりました。

そんな二十代では、沢山の人と出逢い、いろいろな勉強をしました。

そこで出逢った人と結婚し、息子が産まれましたが、二年程の結婚生活で、私は子育てに専念したいと言う気持ちが強すぎて、パートナーに頼り過ぎていた為に、生活が難しくなり、離婚する事になりました。

 

Scene 5.

離婚後には、実家に戻り息子と二人で同居させてもらう事になりました。

この時、保育園に預けて働く事になりましたが、保育園に入ると、うちの子と他の子達との違いに、ちょっと動揺する事がありました。

ここからがまた、私の人生を大きく変える出来事となりました。

お遊戯会の時、他の子が踊っているのに、外を眺めてニコニコしていたり、一人遊びをしている事が多かったんです。

反対に絵を描く時には、細かいところまでよく見ていたり、何か作ったりすると、発想力が違ったりしていました。

年長になると保育園を変えざるを得なくなり、何とか空きのあった保育園に移り、そこで当時の園長先生に相談したところ、一度検査をして貰ったら?と勧められ、当時は青少年センターにて検査をしてくれました。

結果、発達障害だと診断され、専門の先生に診て貰う事になりましたが、その時にはショックと言うよりは、なんだかこれまでのモヤモヤがスッキリしたのを覚えています。

しかし、それからは友達とのトラブルや、その場にそぐわない行動など、とにかくいろいろあり大変でした。

それでも、園長先生や小学校当時の相談員の先生に、いつも相談してアドバイスを貰ったり、叱って頂いたりしながら、何とかやってきました。

 

Scene 6.

当時キリンビバレッジの子会社にあったキリンマーチャンダイジングに就職しました。

これもまた、これまでの自分を試すきっかけになり、人生を大きく変えた出来事です。

これもまたインスピレーションで、求人情報誌を見てすぐに、合格するような気がして、募集の締め切りギリギリでしたが応募し、自分を最大限アピールした結果、二十人中一人の枠を勝ち取りました。

自分の持ち店舗でキリンビバレッジの商品を案内して受注し、展開する場所を交渉し、納品された商品の売り場をきれいに飾って陳列するのが私の仕事でした。

最初は営業の仕事が、二枚舌のようでとても嫌でした。

しかし、徐々にその店舗の特色に合わせたり、客層に合わせた商品と数量を案内して受注することを学び、苦手なことを克服し、成果を上げてきました。

最初はクセのある担当者とも、興味があるような提案をしたり、興味のある話から徐々に関係を築き、十年の職歴でプライベートまで入り込んで関係を築いた担当者や他メーカーも数多くいて、未だに連絡を取っています。

中でも得意分野である、休日にはオリジナルの訴求ツールを作成して売り場を飾ったり、飲料を使ったレシピで購買本数をあげたり、オリジナルの販促POPを書いたり、その商品や時期ごとに合わせた売り場展開をすることが、すごく楽しく、コンテストでは入賞する事も多く、全社では評価を受ける場面も多かったです。

退社時には、全社内の社員やMDから応援メッセージを頂いて、残念がられながら退社しました。

上司からも可愛がって頂き、ここで、直属の元上司から見た私。を話して頂きました。

人を喜ばせるためには全力で考え妥協せずに頑張る子ですね。

一言で言えば明るく、熱く、前向き。

十年ほぼ同じ店舗で、同じエリアを担当していて、毎年少しずつしっかり売り上げをしっかり上げてくるのは、本当に大変な事だと思う。

凄いよ!

 

Scene 7.

現在の職業を始めた事は、大きく人生を変えたと思います。

最初はやっぱり、一人で仕事をする訳ではないので、スタッフを採用してやっていく事は、とても大変で、経営者としての大変さを感じていました。

そこは今も変わりはないのですが、私の考え方に合うスタッフを見つける事や、同じ方向性でやっていく事の難しさも感じていますが、みんなで同じようにやって行く事ももちろん大事ですが、その中でも、みんなが同じ立ち位置ではなく、足りないところは補い合って、一つの歯車として同じ方向性を向いて動いていけたら、お互いの意見を尊重し、良いものを取り入れて行く考え方はあったものの、実際には出来ていなかった事にも、今となれば感じます。

当初はそんな余裕もなかったのかも知れません。

今は、随分連携を取り、同じ方向性に向かってチーム一丸となってやれていけてると思います。

そんな中で、一緒に働いてくれているスタッフから見た私。を語って頂きました。

うそがない。

考え方がまっすぐ。

どんなことにも全力でぶつかっていく。

毎日、全力で生きていて、裏表やかっこつけることがないのに、とっても魅力的。

「うわべ」がないから、スタッフの前でも、思いっきり泣くし、思いっきり怒ります。

でも、どこか抜けていて、そんな一面にスタッフを和ませてくれます。

スタッフの話にも、ちゃんと耳を傾けてくれます。

普段はうまく伝えられないけれど、家族のように信頼しているし、尊敬しています。

ゆきえさんの近くで働けて、ゆきえさんに出会えて、よかったなあ。

これからも、隣の席から、応援しています!

他にも近所の人も減ったたくさん応援してくれていて、十年前に今まで頼りにしていた父が他界し、口下手ですが、上手く近所の人達と付き合わしていたことで、父の歳ほどの人たちも私たちのことを助けてくれていると思っていましたが、最近になりそのことを近所の人と話した時、それとあるけど、歳は親子程だけど、頑張っている幸江ちゃんを尊敬して応援してあげようと思っている。

との話を近所の人たちが話してくれ、私も今まで沢山の人達に応援してもらい、親子二人ここまで来れたので、私たちも返していける事は返していこうと毎日来ています。

これまでインスピレーションを信じ、たくさんの縁を大事にして生きてきたので、これからもそれは変わらずに生きていたいと思っています。

これまでの人生のターニングポイントで、そのことを学んできました。

 

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