本:乙一「夏と花火と私の死体」
影響を受けた本は、「夏と花火と私の死体」です。
その当時は恐らく変わったストーリーだなぁ。ぐらいでしか見ていなかったと思います。
今いろいろと思い返すと影響を受けてるんだろうなと。
まずはメインの方が早い段階で死んでしまう。
自分の中の常識ってのが崩れます。
メインキャラは最後まで生きていてハッピーエンド。ってのが自分の中のストーリーの常識。
あぁこんな始まり方があるんだ。死が終わりではないのかな?死が終わりでない。ってのは宗教的な思想とかも入ってるのかな?とかとか。
そして自分の死体を俯瞰的に見る視点。
自分が生きていたら俯瞰的に見るって難しいですが、自分の魂と箱が切り離されたら俯瞰的に見やすいというか、それが落ちやすい。
乙一さんの意図なのかわかりませんが、すごいなぁって思います。
結果それらが常識ってものを作らず常にまっさらな気持ちで俯瞰的に物事や自分を見ながらって今に生きてきてるのかなと。
その道のプロってどうしてもその界隈の常識に囚われたり当たり前になってしまったり。
それはそこに身を投じてるから当たり前であって、知らない人からしたら訳のわからない事や言葉。
専門用語は便利で時短に繋がりますが、知らない方にしたら不親切な言葉。
自分はどんな方に向けて情報を発信しているのか。
同業の皆さん?違う。靴磨きを知りたい、知らない方に向けてる。
そこで専門用語を使ったらどうなるか。。
って具合に自分を俯瞰的に見たり見れなかったり笑
知識は財産。
まさにこれを感じることができた一冊です。
(個人でやるまでは宝の持ち腐れな財産でした笑)
映画:フォレスト・ガンプ 一期一会
これは本当に何回も見ている作品です。
映画は好きで何百作品と見てますが、これに関しては毎年1回は見直す映画です。
本も、映画も、音楽も「いつ」それを観たり聴いたりするかで思うことが違ったりします。
フォレスト・ガンプも、そんな作品です。
大まかな流れとしては主人公フォレストの成長を描いたものです。
まず、印象的な言葉としましては、「人生はチョコレート箱のようなもの。開けてみないとわからない。」という言葉があります。
すんごい当たり前のこと言ってますよ。
開けなきゃ中身はわからない。
パッケージが書いてあれば想像できたりもしますがそれが絶対でもないですし、ましてやパッケージの無い箱ならば?
どんなチョコレートかわからない。
味もわからない。
それが本当にチョコレートなのか?偽物かもわからない。
人生も、そうですよね。
当たり前のことでも、結構いろんな刷り込みによって言葉の真意を読み取れなくなっていると伝わりづらいかもしれないです。
分解して言葉の真意を読み解く面白さがある言葉だなって。
あとは物語は基本的にフォレストがバス停のベンチで隣に居合わせた人に、自分がしてきた凄いことを話していくことで進んでいきます。
青春の甘酸っぱい想い出や、戦地を駆け回った日々、そしてアメリカ国において英雄になったことや、会社として、個人として有名人になったことを。
ベンチに居合わせた人たちは、煙たそうに聞いたり、嘘なんじゃない?と聞いたり、優しく包み込むように聴いてくれたり。
そこで疑問に思ったことが、誰一人フォレストが有名人、英雄って事実を知らないんですよね。
広いアメリカとはいえ、作中に描かれている功績からしたら誰しもが知っているべき人なのに。
自分が信じて貫いたことは、真実になるんですよね。
しっかり自分軸で生きていれば。
長くなってしまうので、フォレスト・ガンプからの影響受けたことは、是非お店でお話しさせて頂ければかと笑
曲:-
音楽は、、人並みにしか聞いてないので特にありません笑
【プロフィール】
名前|渡邉 広太(ワタナベ コウタ)
ニックネーム|丸ちゃん
誕生日|11月1日生まれ、蠍座
出身地|静岡県富士市
職業(職種)|靴磨き(革物修理、革物メンテナンス)
趣味|映画鑑賞
ホームページ|moustachemanshoesh.wixsite.com/maruya
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